高知市堺町生まれ。本名延沖。江戸南画の始祖で土佐が生んだ唯一の画傑。詩や書にも精励。
1717(享保2) 土佐国堺町(現・高知市堺町)に生まれる。 |
1736(元文元) 現存する最初の画「紅蓮図」(粉本)を描く。 ※粉本:後日の研究や制作の参考とするために模写された絵画。 |
1748(寛延元) 「京摂游記(けいせつゆうき)」を著す。 |
1751(宝暦元) この頃から詩文や書画の門下を抱え、掛川町(現・高知市掛川町)に稽古場を設ける。 |
1758(宝暦8) 山内豊敷(とよのぶ)に詩・書を献じる。藩の許しを得て江戸へ出国。 翌年、京坂を経て江戸に入る。 |
1772(明和9) 江戸の寓居が火事で焼失、奥州へ。道中画会を開く。 |
1776(安永5) 6月、足の疾患の療養に熱海へ。富士登山をし、「熱海紀行」を著す。 |
1780(安永9) 3月、海路帰国の途中、船中で没した。享年64歳。 |
<主な著作>
「京摂游記」※現存なし
「奥游日録(おうゆうにちろく)」
「梅道人墨竹譜(ばいどうじんぼくちくふ)」
詩「高陽山人詩稿」
画「蘭亭曲水図巻(らんていきょくすいずかん)」