『古今和歌集』の撰者として知られる貫之だが、官位は低く、土佐守に任ぜられたときは60歳を越えていた。『土佐日記』は、土佐で亡くした愛児への思慕と、都への望郷の思いが文学性を高め、我が国最初の日記文学としてその史的価値は高い。
872(貞観14) このころ紀望行の子として生まれる。 |
893(寛平5) 「是貞親王歌合」、「寛平后宮歌合」に出詠。『新撰万葉集』に入選。 |
905(延喜5) 『古今和歌集』編集に参加し「仮名序」を書く。これ以前より御書所預を勤める。 |
913(延喜13) 「亭子院歌合」、「内裏菊合」に加わる。大内記に補せられる。 |
930(延長8) 土佐守に任ぜられる。醍醐天皇死去。このため撰を任ぜられていた『新撰和歌』を奏上する機会を失う。 |
934(承平4) 土佐守の任とけ、暮れに土佐を出発、翌年2月帰京。 |
938(天慶元) 周防国に赴く。翌年、同国にて紀貫之家歌合を催す。 |
943(天慶6) 従五位上に叙せられる。 |
945(天慶8) 木工権頭に任ぜられる。この年に死去。74歳くらいか。 ※生没年については諸説あり |
<おもな著作>
『土佐日記』
『新古今和歌集』(紀貫之他編)
『新撰和歌』(紀貫之撰)