高知市生まれ。国学者・歌人。土佐で歌作に勤しむとともに『万葉集』を軸に古代文化の究明に生涯を捧げた。没後、明治天皇のご下賜金で『万葉集古義』を発行。彼の皇朝学・復古思想は、武市瑞山ら土佐勤王党の原動力となった。
1791(寛政3) 土佐郡福井村(現・高知市)に生まれる。 |
1812(文化9) 藩校教授館に通う。 |
1820(文政3) 武市氏の女(瑞山の叔母)きくと結婚。 |
1823(文政6) 『玉蜻(かげろう)考』を脱稿(書き終える)。 |
1866(天保44) 『万葉集人物伝』三巻を脱稿。『古言訳通』の緒言を書く。 |
1836(天保7) 『古義軒著述目録』を作成。妻きく死去。 |
1841(天保12) 『古今集序存疑』『月夜の燭』等を脱稿。『万葉集名処考』を改稿。 |
1845(弘化2) 教授館は書写生に命じて『万葉集古義』を浄書させる。 「存寄書」を藩庁へ上申。翌年、国学や歌学の功績で「白札」格に昇される。 |
1857(安政4) 『万葉集古義』の重訂、『土佐日記地理弁』成る。 |
1858(安政5) 『久延彦考』を脱稿。9月27日、病死。68歳(数え)。 |
<おもな著作>
『万葉集古義』
『土佐日記地理弁』
『山斎集』