【解説】
草稿には「天誅」というタイトルが記されていますが、内容は同名の短編ではなく、長編『天誅組』の一節です。
『天誅組』は、土佐藩を脱藩した吉村虎太郎をはじめとする攘夷派浪士らの天誅組を書いた作品で、「産経新聞」朝刊に1963(昭和38)年11月18日~1964(昭和39)年9月25日まで連載されました。刊行は1974(昭和49)年5月、講談社から出版されています。
当館所蔵の草稿は「武市半平太」(九)と「公子登場」(六)の分で、新聞連載は昭和39年2月下旬~3月上旬くらい、原稿の数は各4枚ずつあります。いずれもかなりの加筆修正があり、こだわりの強い大岡の性格を窺うことができます。さらに、この草稿と『大岡昇平全集』に掲載された『天誅組』を比較すると異同が見られますので、この後も修正されたことがわかります。
『大岡昇平集』の年表によれば、『天誅組』を構想したのは昭和23年、取材を始めたのが昭和37年で、昭和38年9月には吉村虎太郎の故郷である高知県の梼原町を訪れています。詳細な土佐の描写は熱心な取材に裏打ちされているのでしょう。