高知市生まれ。自由民権運動家、新聞記者。「自由新聞」にフランス革命を題材とする翻案小説『自由の凱歌』を発表し、一世を風靡した。
1855(安政2) 高知城の東、中新町(現・高知市桜井町)の土佐藩軽格の家に出生。本名富要(とみやす)。 |
1860年代 藩校致道館で学び坂崎紫瀾らと詩文を談じ、藩主山内容堂に詩才を愛される。 |
1870(明治3) 東京に遊学。英書並びに漢籍を学ぶ。 |
1880(明治13) 「高知新聞」の記者となり、編集長の紫瀾を助ける。 |
1882(明治15) 「自由新聞」に「自由の凱歌」を連載。 |
1885(明治18) 『鬼啾啾』刊。出版条例違反で入獄。 |
1888(明治21) 大阪に出て「東雲新聞」に「芒の一と叢」を連載。 |
1889(明治22) 病癒えず、7月23日大阪堂島浜通りの家で死去。35歳(数え)。 |
<おもな著作>
『仏蘭西(ふらんす)革命記 自由の凱歌(かちどき)』
『魯西国虚無党 冤枉(むじつ)の鞭笞(しもと)』
『勤王済民 高峰(たかね)の荒鷲』
『虚無党実伝記 鬼啾啾(きしゅうしゅう)』
『芒(すすき)の一と叢(むら)』
<おもな当館所蔵資料>
宮崎夢柳晩年の漢詩(掛軸)「病中春日(びょうちゅうしゅんじつ)」