高知市生まれ。自由民権運動の理論的指導者。口語体で執筆された「民権数え歌」や『自由詞林』の民権詩歌は、日本近代詩のさきがけとなった。
1857(安政4) 土佐郡井口村(現・高知市)の藩祐筆の家に生まれる。 |
1873(明治6) 東京に出て海南私学に入学するも、軍人養成学校であることを知り退学。 |
1874(明治7) 高知で板垣退助の演説を聞いて政治に志す。 |
1876(明治9) 「郵便報知新聞」に載せた「猿人君主」により入獄。 |
1880(明治13) 立志社憲法調査局起草委員として「東洋大日本国国憲案」を起草。 |
1885(明治18) 帰高、土陽新聞社入社。 |
1887(明治20) 『新体詩歌 自由詞林』刊。 |
1890(明治23) 高知県第三区(香美郡・安芸郡)より第一回衆議院選挙に立候補、当選。 |
1892(明治25) 前年末より続く胃腸障害悪化により1月23日死去。37歳(数え)。 |
<おもな著作>
『民権自由論』
『赤穂四十七詩論』
『天賦人権弁』
『新体詩歌 自由詞林』
『無天雑録』
<おもな資料>
植木枝盛書「勤則不匱」