江戸の土佐藩邸生まれ、高知育ち。教官や判事などを経て「高知新聞」発刊とともに編集長となるなど経歴を転々とする。維新の英雄坂本龍馬を描いた「汗血千里駒」を連載、大好評を博す。
1853(嘉永6) 藩主侍医の子として江戸の土佐藩邸に生まれる。 |
1867(慶応3) 藩校・致道館に学ぶ。明治2年に句読師となり五人扶持に。 |
1876(明治9) 長野県の松本裁判所判事として赴任、翌年辞職して「松本新聞」主筆となり民権論を鼓吹。 |
1880(明治13) 創刊の「高知新聞」の編集長となる。 |
1881(明治14) 一年間の演説禁止処分を受ける その後、宮崎夢柳らと東洋一派民権講釈一座を組織。馬鹿林鈍翁と名乗る。 |
1883(明治16) 前年不敬罪で禁固刑になり、3~6月入獄。この前後、「土陽新聞」に「汗血千里駒」を連載、大好評。 |
1894(明治27) 日清戦争に「土陽新聞」記者として従軍。 |
1912(大正元) 維新史料編纂を嘱託せられる。『維新土佐勤王史』出版。 |
1913(大正2) 東京で没。61歳(数え)。 |
【主な著作】
『汗血千里駒』
『鯨海酔侯』
『林有造氏旧夢談』
『維新土佐勤王史』