四万十市生まれ。ジャーナリスト、思想家。秋水の号は師・中江兆民の命名。上京し黒岩涙香創刊の「万朝報」の論説記者になったが、非戦論を唱え退社。平民社をおこし反戦思想と社会主義思想の普及に努めた。大逆事件で処刑。
1871(明治4) 高知県幡多郡中村町(現・四万十市)に生まれる。本名伝次郎。 |
1887(明治20) 前年に中村町へ来町した板垣退助に刺激をうけ、上京。 宿毛出身の政治家林有造の書生となり、英学館に通学。 |
1888(明治21) 1月帰郷。11月大阪へ行き、中江兆民宅へ住み込む。 |
1898(明治31) 「自由新聞」「中央新聞」など経て、万朝報社に入社。 |
1901(明治34) 『廿世紀之怪物帝国主義』を刊行。翌年、『兆民先生』を刊行。 |
1903(明治36) 万朝報社を退社。堺利彦らとともに平民社を創設、「平民新聞」創刊。 |
1905(明治38) 「平民新聞」記事筆禍のため5か月入獄。11月渡米し、旧知の同郷の後輩で「平民社桑港支部」の岡繁樹らと交流。 |
1909(明治42) 妻千代子と離婚。管野スガらと「自由思想」創刊。 |
1910(明治43) 6月大逆事件で起訴される。12月公判開始、死刑が求刑される。 |
1911(明治44) 1月24日、刑法73条(大逆罪)により刑死。41歳(数え)。 |
<おもな著作>
思想書『廿世紀(にじゅっせいき)之怪物帝国主義』
『社会主義神髄』
『基督(きりすと)抹殺論』
評伝『兆民先生』