神道家・漢学者。南学の中興の祖。秦山によって、土佐の文学は神道的国粋主義傾向を深めた。
1663(寛文3) 土佐国長岡郡岡豊八幡宮(現・高知県南国市)の神職の家に生まれる。性は大神(おおみわ)とも。 |
1679(延宝7) 初めて京に上り、浅見絅斎(けいさい)ならびに山崎闇斎の門人となる。以後たびたび上京。 |
1686(貞享3) 宿毛に行き、野中兼山の遺児・希四郎に会おうとするも果たせず。 |
1694(元禄7) 江戸の渋川春海に書簡を送り天文暦術・神道について学ぶ。 |
1702(元禄15) 土佐山田より高知城下に移り、藩士の教授にあたる。 |
1707(宝永4) 家老深尾家の処罰に連座し、藩より蟄居を命じられる。 |
1718(享保3) 6月30日没。56歳(数え)。 |
<おもな著作>
『秦山集』
紀行文「東遊紀行」
歌集「秦山詠草」