国学者。谷秦山の孫。谷家の家学を土佐藩学の中心にまで高めた。
1727(享保12) 土佐国長岡郡西野地村に生まれる。翌年小高坂村桜馬場に移る。 ※生誕地には上記西野地村説のほか、香美郡山田野地村説、小高坂村桜馬場説がある。 ※生誕年には享保14年説もある。 |
1746(延享3) 父に伴われて江戸へ出、父の紹介で翌年賀茂真淵に入門する。 |
1760(宝暦10) 藩の教授役となる。 |
1778(安永7) 浦奉行に命ぜられる。 |
1787(天明7) 藩主・豊雍(とよちか)により天明の藩政改革開始、真潮が登用される。郡奉行兼普請奉行を経てのちに大目付となった(~寛政3)。 |
1797(寛政9) 10月18日、没。71歳(数え)。 |
<おもな著作>
漢文集『北渓集』
歌集『北渓先生歌集』
紀行文「磯わのもくつ」
伝記『流沢遺事』