高知県立文学館

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文学館ニュース
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高知県長岡郡東本山村(現・大豊町)生まれ。生活綴方指導者。公立小学校教師として綴方教育の実践を経て、上京。「綴方生活」の編集者として全国の生活綴方教師の熱狂的な支持を集めた。

1897(明治30)
高知県長岡郡東本山村(現・大豊町)津家に生まれる。本名は笹岡忠義。
1917(大正6)
高知県師範学校卒業。母校の杉尋常高等小学校訓導となる。
1919(大正8)
児童文集「山の唄」を発行。以後、転任先の小学校でも児童文集「おとどひ」「蒼空」を発行。綴方教育の実践に力を注いだ。
1921(大正10)
教育界の革新を目指してSNK協会を組織し、「極北」創刊。
1924(大正13)
上田庄三郎らとともに「地軸」創刊。
1925(大正14)
田井第一小学校訓導兼校長の職を辞し、上京。「自由教育」を標榜(ひょうぼう)する池袋児童の村小学校にて、機関誌「教育の世紀」の編集に携わる。
1927(昭和2)
文園社に移籍し、児童向け綴方学習雑誌「鑑賞文選」の編集に専念する。
1929(昭和4)
「鑑賞文選」の親雑誌となる「綴方生活」創刊。全国の生活綴方教師の熱狂的な支持を集める。
1930(昭和5)
郷土社を創立。文園社より「綴方生活」と「鑑賞文選」(「綴方読本」と改題)を継承し、続刊。1931年からは小砂丘個人で郷土社の事業を引受け、発行を続けた。
1937(昭和12)
10月10日 肝硬変により死去。41歳(数え)。「綴方生活」同人の手により、小砂丘編集分に遺稿や追悼記事を載せ、「綴方生活」12月号発行、終刊となる。

<おもな著作>
雑誌「綴方生活」
遺稿集『私の綴方生活』(田中貢太郎序文)
『文章記述の常識』
『短歌の作り方味ひ方』


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