高知県高岡郡津野庄(現・津野町)の生まれで、絶海とともに「五山文学の双璧」と称されたが、絶海の豊潤な文才に比べ、律儀な端正さが目立つ。健康に恵まれなかったため中国留学は果せず、土佐の五台山で修行した。号は空華道人。
1325(正中2) 高知県高岡郡津野庄(現・津野町)に生まれる。 |
1339(暦応2) 上京、比叡山にて登壇受戒。直ちに帰郷、密教を学ぶ。 |
1341(暦応4) 叔父・周念に伴われて上京。臨川寺の夢窓国師をおとずれ法衣を受ける。 |
1351(観応2) 絶海とともに夢窓の示寂にあう。 |
1386(至徳3) 7月、義堂の提案により、足利義満が歴代天皇・上皇の尊信あつかった南禅寺を五山の上に別格として置くこととした。 |
1388(嘉慶2) 4月4日、慈氏院にて示寂。63歳くらいか。 |
<おもな著作>
『義堂和尚語録』(義堂周信編)
日記「空華日用工夫集」
詩偈集『貞和類聚祖苑聯芳集』
詩文集『空華集』