香美郡前浜村(現・南国市)生まれ。俳人。会社勤めの傍ら、子規門下として日本派を鼓吹し、土佐近代俳句の先駆となった俳壇の中心人物である。
1870(明治3) 香美郡前浜村(現・南国市)に生まれる。 |
1894(明治27) 3月「小日本」の子規選に「春雨やひとり徒然草を読む」で天位となる。 |
1895(明治28) 7月慶応義塾大学卒業。帰郷。 |
1897(明治30) 高知市へ転居、堺町に生糸商を開業。のち書籍商、生命保険の勧誘員に転じる。 |
1899(明治32) 1月日本派の句会「土佐十七字会」を霊子・春風庵らと興す。4月上京、子規、虚子に会う。 |
1910(明治43) 全国行脚の碧梧桐を迎え、歓迎に務める。以後新傾向俳句に打ち込み、「日本及日本人」で活躍する。 |
1918(大正7) 東京へ移居。富田双川(新聞人・政治家)、酒枝烏川(新聞人)、田中桃葉(貢太郎/作家)等と「夜来吟社」をおこし、親交を結ぶ。 |
1921(大正10) 南洋製糖会社に転職。ジャワに赴任。翌年東京に帰任。 |
1923(大正12) 2月27日、脳出血で死去。郷里前浜に埋葬。54歳(数え)。 |
<おもな著作>
自筆稿本『土佐人句集』(未刊行)
「波静遺稿」新聞切り抜き(未刊行)
遺句集『椎』