高知県立文学館

KOCHI LITERARY MUSEUM
メニュー
  • 文学館の紹介動画
  • 収蔵資料検索
  • 高知県文化財団
  • 高知県立文学館 Facebookページ
  • 高知県立文学館 Twitter
文学館ニュース
文学館ニュース

文学館ニュース

幡多郡中筋村有岡(現・四万十市)生まれ。伊藤左千夫に影響を受け、小説等を「ホトトギス」及び「アララギ」に発表。大正4年喀血し、病床で『赤光』を読み、再び作歌に志す。同8年「覇王樹」を創刊。閑雅で清澄な名歌をのこした。

1886(明治19)
高知県幡多郡中筋村有岡(現・四万十市)に生まれる。本名は丑吾(うしご)。
1907(明治40)
鹿児島の第七高等学校在学中に「明星」社友となる。
1913(大正2)
東京帝国大学経済学科卒業。川島朝野(北見志保子)と結婚。
1915(大正4)
突然喀血、病床で斎藤茂吉の『赤光』を読む。翌年、父・母・甥2人を相次いで亡くす。
1919(大正8)
弟・亀吉死去。臼井大翼と雑誌「覇王樹」創刊。
1920(大正9)
兄・林太郎死去。「兄」連作と「六つの墓」発表。
1921(大正10)
処女歌集『地懐』刊。
1922(大正11)
妻・志保子と離別。精神上の苦悩甚し。
1929(昭和4)
『子規と節と左千夫』刊。明治大学講師となる。
1930(昭和5)
東京外国語学校教授に任ぜられるも12月20日急逝。45歳(数え)。

<おもな著作>
歌集『地懐』
評論『自然と韻律』
評論『土の人長塚節』
評論『子規と節と左千夫』

TOPへ