高知県生まれ。詩人。青年期に作家ロマン・ロラン、詩人マルセル・マルチネらと親交を結ぶ。帰高後は詩作とパステル画にうちこむ傍ら、詩壇の選者として後進の育成に尽力。芸術家、人道主義者として精神の高みを求め清雅に生きた。
1899(明治32) 土佐郡土佐町に生まれる。本名秋夫(ときお)。 高知県立第一中学校(現・追手前高等学校)に進学し片山敏彦と学友になる。 |
1925(大正14) 東京美術学校木彫部卒業。 |
1926(昭和元) ロマン・ロラン危篤の誤報が掲載された新聞記事を見て、ロランに見舞の電報を打つ。 ロランから返信が届き、以後、交流を深めてゆく。 |
1927(昭和2) 第1詩集『自存』出版。題名のみ「Ce qui est」と直訳しロランやマルセル・マルチネに送る。 |
1928(昭和3) 単身フランスに渡り1年3か月滞欧。 ロラン、マルチネほか作家のヴィルドラックやシャトーブリアンらと交流し帰国。 |
1930(昭和5) 『マルチネ詩選』翻訳刊行。 翌年『続マルチネ詩選』翻訳刊行、詩集『五月柱』、感想集『薔薇窗』を刊行。 |
1932(昭和7) 帰高。出版社「新生社」を設立し雑誌「映画高知」「鉱脈」を発行。 |
1936(昭和11) 感想集『氷花集』刊行。以後は高知新聞記者となり詩壇の選者として後進の育成に尽力。 |
1969(昭和44) 詩と画による個展開催。(「詩画展」はその後も2回開催) |
1995(平成7) 3月22日、土佐市蓮池で死去。96歳(満)。 |
<おもな著作>
詩集『自存』
『五月柱』
『上田秋夫詩集』
『上田秋夫詩集 年輪』
感想集『薔薇窗』
『氷花集』
翻訳『マルチネ詩選』
『続マルチネ詩選』
『ミケランジェロ』(共訳)