高知市生まれ。詩人。「生ける銃架」「間島パルチザンの歌」などの反戦詩を発表。これらの詩は、日本プロレタリア詩の記念碑的作品として、高く評価されている。獄中病を得、26歳という若さで死去。
1912(明治45) 高知市廿代町に生まれる。本名、吉田豊道。 |
1922(大正11) 来高の久邇宮殿下の前で御前講義をする。 |
1923(大正12) 2年飛び越えて学校推薦で土佐中学校本科に入学。 |
1927(昭和2) 寺石正路の尽力で、県立海南中学校に転校。2年後、軍事教練反対運動を組織。 |
1930(昭和5) 岡山の関西中学校へ転校。 |
1931(昭和6) 関西中を卒業して帰高。日本プロレタリア作家同盟高知支部に加入。「生ける銃架」をはじめ、次々と詩を書く。 |
1932(昭和7) 「間島パルチザンの歌」発表。コップ・フラクション*メンバーとして検挙され、翌年、懲役3年の実刑の判決が下る。 *勤労者のなかに組織されていた文化サークルを基礎組織として結成された日本プロレタリア文化同盟。 |
1935(昭和10) 勅令により2年3ヶ月に減刑され、6月、非転向のまま高知刑務所を出所。東京の貴司山治を訪ね、原稿を託し詩集と「日本詩歌史」の刊行を依頼。 |
1936(昭和11) 12月、人民戦線事件で再検挙。翌年、土佐脳病院へ入院。 |
1938(昭和13) 9月3日、病院で死去。26歳(満)。 |
<おもな著作>
『槇村浩全集』
詩「間島パルチザンの歌」
研究書『日本詩歌史』