高知県立文学館

KOCHI LITERARY MUSEUM
メニュー
  • 文学館の紹介動画
  • 収蔵資料検索
  • 高知県文化財団
  • 高知県立文学館 Facebookページ
  • 高知県立文学館 Twitter
文学館ニュース
文学館ニュース

文学館ニュース

東京生まれ。両親が高知県出身で、自身も本籍は高知。作家。オリンピック大会に出場した体験をもとにして書いた『オリンポスの果実』で文壇にデビュー。太宰治に心酔し師事する。晩年、無頼派作家と称され、師太宰の墓前で衝撃的な生涯を終える。

1913(大正2)  
東京市赤坂区榎坂町(現・港区赤坂)に生まれる。母方の姓を継ぎ田中と名乗る。
1920(大正9)
父の療養のため鎌倉の姥ヶ谷(うばがやつ)に移住。
1932(昭和7) 
早稲田大学へ入学。第10回オリンピック・ロサンゼルス大会に早大エイトクルーの選手として参加。
1935(昭和10) 
早稲田大学を卒業、横浜護謨(ゴム)製造朝鮮京城出張所(現・韓国ソウル)に勤務。
この年創刊の同人誌「非望」に掲載した「空吹く風」に対して、太宰治から好意的な批評が届く。以後太宰に師事。
1937(昭和12) 
小島喜代と結婚。
1938(昭和13) 
現地召集を受け、日中戦争で中国各地を転戦。
1940(昭和15) 
復員、職場に復帰する。太宰治と初対面。「オリンポスの果実」で第7回池谷賞を受賞。
1946(昭和21) 
日本共産党に入党。沼津地区委員長となるも、党員の腐敗と活動の行き詰まりから辞任。
1947(昭和22) 
共産党離党。新宿で山崎敬子と出会い、やがて同棲する。
1949(昭和24) 
11月3日、前年自殺した太宰治の墓前で自殺を図り、病院に運ばれるが死去。37歳(数え)。


<おもな著作>
『オリンポスの果実』
「土佐」
『桑名古庵』
『地下室から』
『さようなら』
『酔いどれ船』

TOPへ