東京生まれ。両親が高知県出身で、自身も本籍は高知。作家。オリンピック大会に出場した体験をもとにして書いた『オリンポスの果実』で文壇にデビュー。太宰治に心酔し師事する。晩年、無頼派作家と称され、師太宰の墓前で衝撃的な生涯を終える。
1913(大正2) 東京市赤坂区榎坂町(現・港区赤坂)に生まれる。母方の姓を継ぎ田中と名乗る。 |
1920(大正9) 父の療養のため鎌倉の姥ヶ谷(うばがやつ)に移住。 |
1932(昭和7) 早稲田大学へ入学。第10回オリンピック・ロサンゼルス大会に早大エイトクルーの選手として参加。 |
1935(昭和10) 早稲田大学を卒業、横浜護謨(ゴム)製造朝鮮京城出張所(現・韓国ソウル)に勤務。 この年創刊の同人誌「非望」に掲載した「空吹く風」に対して、太宰治から好意的な批評が届く。以後太宰に師事。 |
1937(昭和12) 小島喜代と結婚。 |
1938(昭和13) 現地召集を受け、日中戦争で中国各地を転戦。 |
1940(昭和15) 復員、職場に復帰する。太宰治と初対面。「オリンポスの果実」で第7回池谷賞を受賞。 |
1946(昭和21) 日本共産党に入党。沼津地区委員長となるも、党員の腐敗と活動の行き詰まりから辞任。 |
1947(昭和22) 共産党離党。新宿で山崎敬子と出会い、やがて同棲する。 |
1949(昭和24) 11月3日、前年自殺した太宰治の墓前で自殺を図り、病院に運ばれるが死去。37歳(数え)。 |
<おもな著作>
『オリンポスの果実』
「土佐」
『桑名古庵』
『地下室から』
『さようなら』
『酔いどれ船』