松山市生まれ。少年期を高知で過ごす。雑誌記者、のちに作家に転身。浅草もの以外に、幕末土佐に取材した歴史小説など、いわゆる土佐ものも多く書いた。
1890(明治23) 愛媛県松山市に生まれる。父は高知県長岡郡長岡村(現・南国市)出身。生母とは生後間もなく離別。 |
1897(明治30) 父の転勤により、土佐郡(現・高知市)の潮江小学校に入学。後、安芸中(現・安芸高校)、県立二中(現・高知小津高校)を経て京都の同志社中学部(現・同志社高校)に転校。 |
1909(明治42) 京都同志社中を中退し、上京。「中学世界」の記者になる。 |
1913(大正2) 信州上諏訪での新聞記者生活を経て帰郷。「土陽新聞」を経て、「高知新聞」の記者となる。 |
1919(大正8) 山本実彦の誘いで改造社に。京都帝国大学担当記者として派遣され、河上肇や西田幾多郎ら錚々(そうそう)たる教授・講師陣を担当するなど、目ざましい活躍をする。後の関東大震災発生時には、谷崎潤一郎や志賀直哉らの西下を受け入れる。 |
1932(昭和7) 改造社を辞め作家として本格的にデビュー。「土佐のカルメン」他発表。 |
1938(昭和13) 「東京日日新聞」に連載し好評を博した『浅草の灯』を刊行、第1回新潮社文芸賞第二部大衆文芸賞受賞。 |
1942(昭和17) 海軍報道班員として従軍しラバウルへ。帰国後、各地で銃後講演をする。 |
1953(昭和28) 高知出身作家らとともに雑誌「南風」を創刊。 |
1959(昭和34) 3月12日、東京で急逝。68歳(満)。 |
<おもな著作>
『十二階下の少年たち』
『浅草の灯』
『旅順』
『海援隊』
『土佐のカルメン』
<おもな展覧会>
「浜本浩とその時代」(1998年度)