漢詩人。玉池吟社の秀才。山内容堂にもその詩才を愛された。
※「かん」は石偏に間。
1819(文政2) 長岡郡仁井田村(現・高知市仁井田)の吏職の家に生まれる。字は簡夫、通称良太郎。幼年より学を好み、岡本寧浦(ねいほ)に学ぶ。 |
1836(天保7)~1387(天保8) この頃東遊し、佐久間象山に経学を、巻菱湖(まきりょうこ)に書を学ぶ。梁川星巌(やながわせいがん)の玉池吟社で詩を学び、詩才を表す。 |
1843(天保14) 『梅かん初集』成る。 |
1856(安政3) 清国の漁船が幡多郡清水浦に漂着、訳官として長崎へ。 |
1865(慶応元) 4月2日、病没。47歳(数え)。 |
<おもな著作>
『梅かん初集』
『梅花鶴影荘集』