生来詩人的な資質の持ち主で、和臭のない中国語を使い、明の杭州に留学し、明代の純文芸的詩風と禅林四六文の作製法を伝承、帰朝し、門生に多大な影響を与えた。中世文学を代表する作家として高く評価されている。号は絶海、別に蕉堅道人
高知県高岡郡津野庄(現・津野町)の生まれで、絶海とともに「五山文学の双璧」と称されたが、絶海の豊潤な文才に比べ、律儀な端正さが目立つ。健康に恵まれなかったため中国留学は果せず、土佐の五台山で修行した。号は空華道人。 13
五山文学は、鎌倉時代から室町時代末期にかけて五山の禅僧の制作した漢詩文。津野庄(現・津野町)出身の義堂周信と絶海中津は、五台山吸江庵の創設者・夢窓の法嗣であり、五山文学の最高峰と称される。 特に絶海は、明の杭州に留学中、