17世紀の土佐では南学の流動の中で、大高坂芝山(しざん)・黒岩慈庵・谷秦山(じんざん)らがすぐれた漢詩を残したが、なかでも秦山は、気概に富む堂々たる詩を詠じた。 18世紀には、画家的視野で脱俗の境地を詠んだ中山高陽、謡曲
第15代土佐藩主。多分に詩人肌のところがあり、優れた詩文を多く残している。書を良くし、頼山陽を愛し、政治への悲憤と繊細な自然鑑賞を詩に詠んだ。号に鯨海酔侯など。 1827(文政10) 高知城下(現・高知市追手筋)に生まれ
漢詩人。玉池吟社の秀才。山内容堂にもその詩才を愛された。 ※「かん」は石偏に間。 1819(文政2) 長岡郡仁井田村(現・高知市仁井田)の吏職の家に生まれる。字は簡夫、通称良太郎。幼年より学を好み、岡本寧浦(ねいほ)に学
江戸時代後期の土佐藩士・漢詩人・教育者。詩社・嗽玉唫社(漱玉吟社・そうぎょくぎんしゃ)を結成。教授館学頭を務め、幅広い階層の人々の才能を受け入れ、土佐漢詩壇に多大な影響を与えた。 1785(天明5) 高知城下の南与力町に
幡多郡奥内村(現・大月町)生まれ。詩人。キリスト教的思想を基調とした人間愛に満ちた思想的叙情詩を書き、人生派詩人としての評価が高い。 1906(明治39) 高知県幡多郡奥内村(現・大月町)泊浦に生まれる。少年期を、泊浦、