吾川郡弘岡下ノ村(現・高知市春野町)生まれ。子規門下であったが、子規没直後、「子規子の死」を発表、その子規批判の論考で排斥を受け俳壇から失脚。帝大卒後は郷里に帰り、俳誌「海月」を主宰するなど地方詩壇に復活し後進の指導に尽
【本について】 1965(昭和42)年10月に高知市民図書館より刊行。 【作品について】 この本は、若尾瀾水の主要な俳論や俳句などを収めた俳論集です。 特に、サブタイトルにもある正岡子規の死に関連して書かれた「子規子の死
東京都生まれ。土佐に関する二作品は、いずれも時代に先行して散った若者を主人公にしており、歴史小説として評価が高い。大岡は取材のために度々来高し、史跡やゆかりの地を訪ねるとともに、史実、資料などの綿密な調査を行っている。
【本について】 初出:「中央公論文芸特集」1984(昭和59)年秋季号(10月)~1988(昭和63)年冬季号(12月)、(除1986(昭和61)年冬季号) 単行本:『堺港攘夷始末』中央公論社より1989(平成元)年12
東京生まれ。両親が高知県出身で、自身も本籍は高知。作家。オリンピック大会に出場した体験をもとにして書いた『オリンポスの果実』で文壇にデビュー。太宰治に心酔し師事する。晩年、無頼派作家と称され、師太宰の墓前で衝撃的な生涯を