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宮尾 登美子について
宮尾 登美子について

宮尾 登美子について

明治・大正・昭和の女性の一生を描きつづけた作家・宮尾登美子の紹介です。

宮尾文学の世界

  • 宮尾文学の世界

    宮尾文学の世界

    毎年テーマ展を行い、宮尾文学を多角的に紹介。

  • 直筆資料の数々

    直筆資料の数々

    習作原稿や書簡、創作ノートなど、貴重な直筆資料を一堂に展示。

  • 愛用の品々

    愛用の品々

    愛用の着物や珊瑚、小物など著者が身につけ、愛しんできた品々を展示。

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新着情報

Information

宮尾 ( みやお ) 登美子 ( とみこ ) とは

宮尾 登美子

「新刊ニュース」1979年4月号(トーハン)掲載の「私の近況」より

作家。高知市生まれ。芸妓娼妓紹介業を営む父と母の姿を描いた『櫂』で太宰治賞を受賞後、『寒椿』、『一絃の琴』、『序の舞』など、一貫して、風土や時代の因習の中でひたむきに生きる女性の一生を描き続けた。作品は自伝四部作とそれを取り巻く土佐の花街を題材にした作品群、芸道もの、歴史ものに大別される。

宮尾登美子略年譜

(年齢は満年齢)

作家以前〜32歳

1926年大正15年 0歳 4月13日、高知市緑町4丁目(現・二葉町)に生まれる。
戸籍上は父・岸田猛吾、母・喜世の四女。岸田家は「芸妓娼妓紹介業」を営む。
1931年昭和6年 5歳 9月、満州事変勃発。
1932年昭和7年 6歳 4月、高知市立第一幼稚園に入園する。
病弱で一カ月に一度は医師の往診を受ける状態が続く。母・喜世の愛を一身に受ける母親っ子であった。
1933年昭和8年 7歳 4月、高知市立昭和尋常小学校に入学する。
家にあった『講談全集』『落語全集』などに親しむ。
夏、母が子宮筋腫で長期入院する。
1934年昭和9年 8歳 4月、海岸通り(現・若松町)に引っ越す。
1937年昭和12年 11歳 7月、日中戦争勃発。
1938年昭和13年 12歳 11月、父母が離婚する。
1939年昭和14年 13歳 2月、朝倉町の父のもとに移る。
4月、高知県立女子師範学校附属小学校高等科に入学する。
家業のことで劣等感にさいなまれる。
1941年昭和16年 15歳 4月、私立高坂高等女学校(3年)に編入する。
12月、太平洋戦争勃発。
1942年昭和17年 16歳 夏、肋膜炎と診断され、香美郡土佐山田町前行(現・香美市)に転地療養する。
1943年昭和18年 17歳 3月、高坂高等女学校を卒業する。
4月、同校家政研究科に入学する。
12月、中途退学し、吾川郡池川町(現・仁淀川町)安居国民学校に代用教員として就職する。
1944年昭和19年 18歳 2月、池川町狩山国民学校に転任する。
3月、退職。同月、安居国民学校教員前田薫と結婚。
11月、夫が大土佐開拓団の子女教育にあたるため、単身満州(現・中国東北部)へ渡る。
1945年昭和20年 19歳 2月、長女誕生。
3月末、迎えに戻った夫とともに、長女を伴って満州に渡る。
8月15日、終戦。
敗戦後、暴動に遭い、飲馬河を脱出する。
九台を経て、営城子炭鉱にある難民収容所に入る。コーリャンと塩汁で冬を越す。
1946年昭和21年 20歳 9月、親子三人、引き揚げ船で佐世保港へ上陸する。
9月21日、高知へ帰る。夫の実家、吾川郡弘岡上ノ村(現・高知市春野町)で、夫の母と祖父とともに農業に従事する。
12月、南海大地震。
1947年昭和22年 21歳 6月、肺結核と診断される。満州での体験を書き残しておきたく思い、同月18日よりノートに感想を書き始める。
1948年昭和23年 22歳 体調が少しずつ良くなる。
10月、初めての小説「村芝居」を「文芸首都」に投稿する。
1949年昭和24年 23歳 1月、次女誕生。『細雪』に感銘を受ける。
12月7日、母・喜世死去。
1951年昭和26年 25歳 5月4日、父・猛吾死去。同月より村立保育所に保母として就職する。以後7年間勤務する。
1958年昭和33年 32歳 4月、高知県社会福祉協議会保母会事務局に就職する。

修行時代〜46歳

1962年昭和37年 36歳 10月、短編「連」が第5回女流新人賞を受賞。
1963年昭和38年 37歳 1月、婚家を出て、借家住まいをする。
「連」が第48回直木賞候補になる。
3月、協議離婚。
1964年昭和39年 38歳 11月、高知新聞学芸部記者宮尾雅夫氏と結婚する。
1966年昭和41年 40歳 1月21日、夫とともに上京する。
杉並区下高井戸の家賃6800円・6畳一間のアパートに住み、「女性自身」他、週刊誌、婦人誌のライターをする。
10月、赤ちゃんとママ社に就職、月刊誌の編集にたずさわる。
1968年昭和43年 42歳 12月、第一生命住宅(現・相互住宅)に就職。広報編集主任としてPR誌「さんるうむ」編集にたずさわる。
1972年昭和47年 46歳 8月、私家版『櫂』(第一部)を自装で500部刊行する。
12月、第一生命住宅を退社する。以後、執筆活動に専念。

作家時代〜88歳

1973年昭和48年 47歳 6月、『櫂』で第9回太宰治賞を受賞する。
1977年昭和52年 51歳 10月、『寒椿』で第16回女流文学賞を受賞する。
1979年昭和54年 53歳 2月、『一絃の琴』で第80回直木賞を受賞する。
1983年昭和58年 57歳 4月、『序の舞』で第17回吉川英治文学賞を受賞する。
1998年平成10年 72歳 4月、勲四等宝冠章を受章する。
9月、NHK「世界・わが心の旅」のため、大連、瀋陽、飲馬河、営城子、長春を辿る。
1999年平成11年 73歳 5月、「宮尾本 平家物語」執筆のため、北海道伊達市へ転居する。(~2003年)
2007年平成19年 81歳 12月11日、夫・宮尾雅夫氏逝去。
2008年平成20年 82歳 12月、第56回菊池寛賞を受賞する。
2009年平成21年 83歳 11月、文化功労者に選出される。
2010年平成22年 84歳 12月、『錦』で第6回親鸞賞を受賞する。
2014年平成26年 88歳 12月30日、老衰のため逝去。

宮尾登美子文庫

当館の宮尾登美子文庫は、生前にご本人からご寄贈いただいた資料群に加え、ご遺族からご寄贈いただいた愛用の品々など約4,800点の資料からなります。
当文庫の特徴は草稿・創作ノートなど直筆資料が豊富であること、さらに幼少時から晩年にいたるまでの約13,600枚に及ぶ膨大な写真資料を収蔵している点にあります。

主な資料

自筆資料群

  • 「櫂」第二部原稿

    「櫂」第二部原稿

  • 「仁淀川」原稿

    「仁淀川」原稿

  • 「きのね」完成原稿

    「きのね」完成原稿

  • 「クレオパトラ」完成原稿

    「クレオパトラ」完成原稿

  • 「宮尾本 平家物語」完成原稿

    「宮尾本 平家物語」完成原稿

  • 「櫂」創作ノート

    「櫂」創作ノート

  • 読書録ノート

    読書録ノート

稀覯本

  • 私家版『櫂』第一部1972(昭和47)年8月刊

    私家版『櫂』第一部
    1972(昭和47)年8月刊

  • 豆本『夜汽車』『卯の花くたし』他

    豆本『夜汽車』『卯の花くたし』他

愛用品他

  • 太宰治賞副賞のオメガの腕時計

    太宰治賞副賞のオメガの腕時計

  • 作家・宇野千代から贈られた桜模様の訪問着

    作家・宇野千代から贈られた桜模様の訪問着

  • 珊瑚の帯留め

    珊瑚の帯留め

著作リスト

主な小説作品

自伝四部作

  • 『櫂』上下

    『櫂』上  1973(昭和48)年12月 筑摩書房
    『櫂』下  1974(昭和49)年 3月 筑摩書房

    大正から昭和初期の高知の花街で芸妓娼妓紹介業を営む富田岩伍と妻・喜和の物語。生(な)さぬ仲の綾子を喜和は溺愛して育てるが、家業へのぬぐえない嫌悪感から、やがて岩伍との溝は深まっていく。父母をモデルとした、自伝四部作第1作。
    当館では筑摩書房刊『櫂』上巻収録の第二部の原稿を所蔵している。

  • 『春燈』

    『春燈』

    1988(昭和63)年1月 新潮社

    父母の離婚、女学校受験の失敗、家業への憎悪、継母と連れ子たちとの同居…。戦争に突入していく不穏な時代を背景に、綾子の多感な少女期を描いた自伝作品。

  • 『朱夏』上下巻

    『朱夏』上下巻

    1985(昭和60)年6月 集英社

    17歳で結婚した綾子は、夫とともに生後50日の娘を連れて渡満するも、敗戦後、苦難の難民生活を送ることとなった。暴民の奪略、ロシア兵の襲来、飢えと死の恐怖…。極限状態に置かれた人間のエゴイズムと、生き延びるために懸命にもがく姿を赤裸々に描いた作品で、自伝四部作中二番目に発表された。

  • 『仁淀川』

    『仁淀川』

    2000(平成12)年12月 新潮社

    夫と幼い娘とともに、乞食同然の姿で満州から引揚げてきた20歳の綾子は、仁淀川のほとりの夫の生家で暮らしはじめる。農村の因習と病に苦しみながらも書くことに生きがいを見出し、成長していく姿が描かれている。自伝四部作最終作。当館で原稿を所蔵している。

  • 『岩伍覚え書』

    『岩伍覚え書』

    1977(昭和52)年1月 筑摩書房

    身売りの世界におぼれていく女の哀しくもたくましい「生」が、大正末期から昭和十年代の時代背景とともに描かれた4つの作品からなる。著者の父の日記を元に描かれた作品。

  • 『寒椿』

    『寒椿』

    1977(昭和52)年4月 中央公論社

    著者が少女時代の一時期を共に過ごした、仕込みっ子の少女たちをモデルに書いたオムニバス作品で、4作からなる。4人の少女が子方屋「松崎」を出て、やがて芸妓・娼妓となり、明暗はありながらも、戦中・戦後をそれぞれに強く生きてゆく姿を描いている。第16回女流文学賞受賞。

  • 『一絃の琴』

    『一絃の琴』

    1978(昭和53)年10月 講談社

    幕末から昭和への120年間の歴史を背景に、土佐に伝わる一絃琴に生涯を傾けた2人の女性の矜持と情念が描かれる。第80回直木賞受賞作。当館では習作原稿4種を所蔵している。
    ※単行本は品切れ。文庫本は入手可。

  • 『序の舞』上下巻

    『序の舞』上下巻

    1982(昭和57)年11月 朝日新聞社

    女性ではじめて文化勲章を受章した日本画家・上村松園をモデルにした作品。当館では完成原稿を所蔵。第17回吉川英治文学賞受賞。

  • 『錦』

    『錦』

    2008(平成20)年6月 中央公論新社

    正倉院宝物の復元を手掛けた京都の織り師・初代龍村平藏をモデルに描いた作品で、最後の小説作品となった。第6回親鸞賞受賞。当館で原稿を所蔵。

  • 『宮尾本 平家物語』

  • 『宮尾本 平家物語』

  • 『宮尾本 平家物語』

    一、青龍之巻 2001(平成13)年6月 
    二、白虎之巻 2002(平成14)年4月
    三、朱雀之巻 2003(平成15)年4月  
    四、玄武之巻 2004(平成16)年4月 朝日新聞社

  • NHK大河ドラマ「義経」の原作となった作品。『宮尾本 平家物語』の中では平家の女性たちが、感情豊かな生き生きとした存在として描かれ、作中で歴史を動かす重要な役割を果たしている。当館では完成稿3618枚を収蔵している。

舞台化・映像化された作品群

宮尾作品は長編21作中、17作が舞台化・映像化されています。
東映の女性文芸路線第1作の原作となった『鬼龍院花子の生涯』、NHK大河ドラマの原作『天璋院篤姫』『宮尾本 平家物語』、65万部のベストセラーとなり、立て続けに映画・ドラマ・舞台化された『藏』など、宮尾作品の多くは舞台化・映像化され、人気を博しました。一つの作品が時を経て繰り返し取り上げられることも多く、時代を超えて視聴者の興味をとらえつづけています。

  • 『鬼龍院花子の生涯』

    『鬼龍院花子の生涯』

    1980(昭和55)年1月 文藝春秋

  • 『天璋院篤姫』

    『天璋院篤姫』

    上下巻 1984(昭和59)年9月 講談社
    ※単行本は品切れ。文庫本は入手可。

  • 『藏』上下巻

    『藏』上下巻

    1993(平成5)年9月 毎日新聞社

  • 他、『陽暉楼』『伽羅の香』『松風の家』『菊亭八百善の人びと』『クレオパトラ』『天涯の花』など多数。

主なエッセイ集

  • 『母のたもと』

    『母のたもと』

    1980(昭和55)年3月 筑摩書房

    「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」、「女流新人賞から太宰賞へ」など作家として世に立つまでを克明に記したエッセイなどを所収。処女エッセイ集。

  • 『楊梅の熟れる頃』

    『楊梅の熟れる頃』

    1982(昭和57)年5月 文化出版局

    「小説のようでいて小説でなく、ルポのようでいてルポでないという形式」で、土佐の風物と土佐の女性を描いた13編を所収。
    ※現在絶版。

  • 『記憶の断片』

    『記憶の断片』

    1996(平成8)年12月 飛鳥新社

    47歳から70歳までに発表されたエッセイ100編を収録。

  • 『きものがたり』

    『きものがたり』

    1999(平成11)年3月 世界文化社

    愛用の着物の写真とともにそれぞれの着物にまつわる思い出を綴ったエッセイ集。
    250冊限定で愛用の着物を表紙に経師貼りした愛蔵版も出版された。
    当館では着物5着と珊瑚の帯留めなど愛用品の数々を収蔵している。

  • 『生きてゆく力』

    『生きてゆく力』

    2009(平成21)年6月 海竜社

    毎日新聞夕刊に連載された「みつめる昭和八十年」のエッセイを中心に収められている。最後のエッセイ集。

※品切、絶版の明示がない書籍でも、絶版の可能性があります。

宮尾文学自伝四部作ゆかりの地

  • ①愛宕中学校

    ①愛宕中学校

    高坂高女の校舎『卒業記念写真帖 第43回本科』(昭和18年)/高知県立図書館蔵

    旧高坂高等女学校(高坂高女)。作中で、受験に二度失敗した綾子が最終的に通った女学校。徐々に戦時色の強くなっていく時代を背景とした綾子の女学校生活は『春燈』に詳しく描かれている。

  • ②高知小津高等学校

    ②高知小津高等学校

    昭和7年落成時の海南中学校

    旧県立海南中学校。『春燈』の中で、綾子は岩伍の後妻の連れ子・譲と共に暮らすようになるが、同い年の譲が海南中学校にみごと合格し、自身は第一高女受験に失敗したことで、綾子の心は深く傷ついた。

  • ③高知丸の内高等学校

    ③高知丸の内高等学校

    昭和13年に新築された第一高女時代の校舎

    ③高知丸の内高等学校

    第一高女正門

    旧県立第一高等女学校(第一高女)。『春燈』の中で綾子あこがれの学校。第一高女受験に失敗した綾子は生まれてはじめての挫折を経験する。

  • ④高知追手前高等学校

    ④高知追手前高等学校

    尋常中時代から一中時代を経て、城東中時代まで使われていた校舎

    旧県立第一中学校(一中)。『櫂』の中で喜和と岩伍の次男(=綾子の兄)・健太郎が通い、退学した学校。県下の選り抜きが集まるという一中に通う健太郎は喜和の誇りだった。

  • ⑤中の橋通り

    ⑤中の橋通り

    昭和9年頃の追手筋を西から東に見た写真。印付近で中の橋通りと交わる。向かって左が城東中学校(一中)。

    『櫂』『春燈』で岩伍と離婚後、喜和が商っていた「八幡家」は、かつて健太郎が通った一中の斜め前にあり、繁盛していた。

  • ⑥得月楼

    ⑥得月楼

    旧得月楼中店(明治末期)

    作中では「陽暉楼(ようきろう)」として出て来る。戦前はここに中店があり、本店は若松町にあった。

  • ⑦はりまや町1丁目交差点南

    ⑦はりまや町1丁目交差点南

    昭和10年頃

    旧四つ橋。昔ここには木屋橋(きやばし)、幡多倉橋、納屋堀橋(なやぼりばし)、菜園場橋(さえんばばし)と4つの橋がかかり、通称四つ橋と呼ばれていた。『櫂』の終章で喜和はここから南側の旧朝倉町(現はりまや町2丁目)の岩伍の家へと帰っていく綾子を見送った。

  • ⑧多賀神社

    ⑧多賀神社

    『土佐電気鉄道線路案内』(大正元年9月刊)より

    岩伍と喜和出会いの場。『櫂』に詳しく描かれている。喜和は、お多賀様の夏祭で、十人抜きの青年相撲にひとり勝ち抜いている岩伍にひとめぼれした。

  • ⑨昭和小学校

    ⑨昭和小学校

    昭和9年3月の卒業記念写真帖より

    『櫂』『春燈』で綾子が通った小学校として出てくる。作中では明和小学校という名称になっている。

  • ⑩土佐稲荷神社付近

    ⑩土佐稲荷神社付近

    明治後期の稲荷神社付近

    作中で綾子の生家があった緑町4丁目はこの裏手になる。
    緑町の位置について『高知市史』中巻によれば、緑町は稲荷神社より東になるが、作中の描写にしたがった。

  • ⑪若松町川岸

    ⑪若松町川岸

    大正時代の海岸通り。左手前の建物が得月楼本店。

    かつて海岸通りと呼ばれていた一帯で、戦前はここに得月楼本店があった。作中では「陽暉楼」として出て来る。本店から西に一丁(約109m)と離れていない場所に岩伍の海岸通りの家があった。

  • ⑫潮江天満宮

    ⑫潮江天満宮

    複製(土佐潮江天満宮)/高知市民図書館(寺田正文庫)蔵

    綾子の氏神様。『櫂』の中で、3歳の七五三に、薔薇の造花で飾った天鵞絨(びろんど)の帽子をかぶり、薬玉の振袖を着て、流行りのビーズのオペラバッグという装いで喜和に連れられてお参りした。また、受験の時には喜和が合格祈願をしてくれた。

  • ⑬潮江中学校

    ⑬潮江中学校

    高知県女子師範学校と第二高女の校舎。付属小学校は左手前。

    旧女子師範付属小学校高等科。作中で第一高女受験に失敗した綾子が高坂高女入学前に2年間通った学校として出て来る。親友・規子との出会い、教育実習の教生とのいざこざなど、『春燈』に詳しく描かれている。

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